7月30日は何の日『プロレス記念日、梅干の日、生サーモンの日』
おはようございます。
今日7月30日は何の日~~~~
プロレス記念日
1953年の今日、力道山が中心となり日本プロレス協会が結成されたのです。
日本では1951年に初めての本格的なプロレス興行に参加した元大相撲関脇の力道山が、アメリカ修行を経て53年に帰国をして、日本プロレス協会を設立したのです。
1954年〈空手チョップ〉を武器にシャープ兄弟らと戦い、一大ブームを巻き起こしたのです。
悪い外人をうち負かす力道山は敗戦後の沈滞、鬱屈した国民の気持ちを大いに刺激したのです。
力道山(朝鮮語:역도산(ヨットサン、Yeokdosan / Yŏktosan)、朝鮮文化語:력도산(リョットサン、Ryeokdosan / Ryŏktosan))で、1924年11月14日生まれ、本名・戸籍名・日本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、旧名・出生名・朝鮮名:金 信洛(きん・しんらく、キム・シㇽラク、김신락(Gim Sinrak / Kim Sinrak))と言う方なのです。
1940年の5月場所初土俵で、1946年11月場所に入幕し大相撲時代の成績は、通算成績:135勝82敗15休だったのです。
1949年5月場所に関脇に昇進するが、1950年9月場所前に突然、自ら髷(まげ)を切り廃業したのです。
その後に、日本のプロレス界の中心となっておられた方なのです。
私が小さい頃はテレビで、ゴールデンタイムにプロレスを放送していましたが、最近ではテレビでも見る機会が無くなったような気がします。
梅干の日
「梅干しを食べると難が去る」と昔から言われてきたことから「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合せからのようです。
おまけに、ただ梅干しを食べるだけでなく、「恵方に向かって食べる」と特に難が去るとされているのだそうです。
ちなみに、今年の恵方は東北東のやや東で、方位角は75°なのです。
梅干は、疲労回復に効果的な食べ物なのです。
疲労回復効果を期待できるクエン酸がたっぷり含まれた梅干しは、もともと夏にこそ摂取しておきたい食品でもあります。
昔の人は梅干しを薬として持ち歩き、旅先で熱病や風土病などの病気にかからないように心がけていたのだそうです。
これに加えて梅干しは「食べ物、水、血」の三毒を断つとも言われているらしく、体調を崩しがちなこの時期には、ピッタリの食べ物なんですよね。
あの大きな梅干を見るだけで口の中が酸っぱくなる気がいたします。。。
生サーモンの日
サケ・マス類を中心にさまざまな魚の養殖、加工、販売などを手がける株式会社モウイジャパンが制定したのです。
同社の「モウイ・サーモン」は最高品種のノルウェー産アトランティックサーモンのブランド魚なのです。
一度も冷凍されることなく生のまま日本に届けられるこの絶品サーモンの美味しさをより多くの人に知ってもらうのが目的で、日付は7と30で「生(7)サーモン(30)」の語呂合わせからなのです。
ちなみに、 【生食用と加熱用】どう違うのかと言うと??
スーパー等で売っている加熱用の生鮭はシロサケが多く、これには寄生虫のアニサキスがいる可能性があるため生食は危険なのです。
刺身用サーモンとして売っているのは、ほとんどがトラウトサーモン(ニジマス)なので生食が可能なのです。
ちなみに大雑把な分類では成長期に海を回遊するのが鮭、一生を淡水で過ごすのが鱒とされており、アニサキスは海にいる寄生虫なのでこういった違いが出てくるのですね。
やっぱり、お寿司はサーモンを頼んでしまいますよね~~(回るお寿司屋さんですが。。)
ちなみに、
1930年の今日、第1回サッカー・ワードルカップ決勝が開催され、開催国のウルグアイが優勝したのです。
この大会は、1930年7月13日からウルグアイで開催された、記念すべき第1回目のFIFAワールドカップなのです。
第1回FIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行われず、全てのチームは招待されて参加したのです。
船での長旅のため、ほとんどのヨーロッパのチームが出場を辞退し、開催2ヶ月前の時点でユーラシア大陸からの参加チームは1つもなかったのです。
当時のFIFAの会長、ジュール・リメが参加を呼びかけた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国(すべて当時のフランスの同盟国)が参加に踏み切ったのですね。
また日本も招待されていたが、大日本蹴球協会は参加を見送ったのです。
その理由は、当時の日本国内が1927年の昭和金融恐慌以来慢性的な不況であったため、同年の昭和恐慌発生でさらに経済状態が悪化していたため、そして、大日本蹴球協会自身も財政難であったためなのです。
当時はまだ、交通手段が船だった為、参加されなかったのですね。
ちなみに、
1971年の今日、雫石事故がおきたのです。
岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突をして、全日空機は乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡してしまい、自衛隊員は脱出し無事だったのです。
この事故は、千歳空港午後0時45分発羽田行の全日空58便(ボーイング727-281 機体記号JA8329)は、折り返し当便となる全日空57便の到着がすでに45分遅れていたため午後1時25分に定時より45分遅れて地上滑走を開始し、午後1時33分に離陸したのです。
58便は函館NDBにジェットルートJ10Lで向かい、午後1時46分に通過したのです。 この時の飛行高度は22,000ft(約6,700m)で、ここで高度を上昇しながら松島NDBに向けて変針し、札幌航空交通管制部管制所に「松島NDB通過は午後2時11分の予定」と連絡したのです。
ここから巡航高度を28,000ft(約8,500m)に上昇し自動操縦で飛行していたのです。
一方、航空自衛隊第1航空団松島派遣隊所属のF-86F戦闘機2機(訓練機:機体登録番号92-7932、教官機:同02-7983)は、編隊飛行訓練のため有視界飛行方式による飛行計画で航空自衛隊松島基地を午後1時28分頃に離陸したのです。 教官は訓練生に離陸前に、訓練空域は盛岡であること、訓練を行ったのち松島飛行場へ帰投し、自動方向探知機(ADF)による進入訓練を行う予定であること、および訓練時間は1時間10分であることなどを指示したが、経路と高度については説明をしなかったのです。
岩手県岩手郡雫石町付近上空で午後2時2分39秒頃、東京方向へ190度の磁針度を取って飛行していた全日空58便機と、岩手山付近上空を編隊飛行訓練していた2機の自衛隊機のうち1機(訓練機)が、高度約28,000ft(約8,500m)で空中衝突してしまったのです。
両機体の破損状況から、全日空機の機体のもっとも上の部分にあるT字尾翼の水平尾翼安定板左先端付近前縁を訓練機の右主翼付け根付近に引っかけるような形で追突したのだと推測されたのです。
衝突後、双方の機体はともに操縦不能になり、全日空58便はしばらく降下しながら飛行していたが、水平安定板と昇降舵の機能を喪失していたため、降下姿勢から回復できず速度が加速し、やがて音速を超え約15,000ft(約5,000m)付近で空中分解し墜落、搭乗していた乗員乗客162名全員が死亡してしまったのです。
全日空機が音速を超えた際のものと思われるソニックブームが盛岡市内の病院屋上など、墜落地から離れた場所でも確認されているのです。
一方の訓練機は、接触の後、錐揉み状態に陥り、訓練生は射出座席装置のレバーを引こうとしたが、機体の回転による遠心力のため手をレバーへ動かすことができず、射出できなかったのですが、しかし、キャノピー(風防)が離脱していることに気づいたため、安全ベルトを外して機体から自力で脱出、パラシュートで雫石駅東南約300mの水田に降下し生還し、無人となった訓練機も空中分解し、田んぼに墜落したのです。
国民を守るための自衛隊機が旅客機と衝突をするという痛ましい事故なのですが、絶対にあってはならない事故なのです。
ちなみに、
1978年の今日、日本復帰6年目の沖縄県で、交通規則をアメリカ式から日本式に変更して、車が右側通行から左側通行になったのです。
戦前の沖縄県は、日本国内の他の地域と同じく、自動車は左側通行であったが、沖縄戦終了後に沖縄を占領下に置いたアメリカ海軍政府が1945年11月に出した指令により、右側通行に変更され、1947年5月には沖縄民政府により右側通行を定める「自動車交通取締規則」が発布されたのです。
変更実施前から準備段階として、幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識や信号を設置した上で、それらをカバーで覆い隠しておき、変更作業時にその覆いを外して右側通行用の標識にかぶせ直す方法が用いられ、また、車線のレーン・右左折表示などの道路標示も、左側通行用の標示をあらかじめ描いた上で黒のカバーテープで覆い、変更作業時にバーナーによってテープを除去するという方法が取られたのです。
これら覆いやカバーテープを用いた方法は世界初であり、「カバーアンドテープ方式」や発案者の名を取って「久高方式」と呼ばれ、短時間で効率よく作業を行うことを可能にし、その他、ガードレールを左側通行に併せて重ね直したり、交差点の改良、交通の改善を兼ねて道路の拡幅を行った区間もあったのです。
1978年7月29日22時より沖縄県全域で緊急自動車を除く自動車の通行が禁止され、沖縄県警察本部から県内の警察署への無線連絡により、一斉に変更作業が開始され、変更作業は翌30日6時までの8時間で行われたのです。
変更作業に際しては約800人の作業員と約300台の車両が動員され、約19億円が投資されたでのす。
その間、新標識から旧標識へ目隠しの移動、新白線を隠していたテープの除去などが行われ、30日4時18分、沖縄県の管理する全ての道路で切り替え工事が終了して、5時50分、一旦解除されていた自動車の通行規制が再度行われ、全ての車が停車したのち右車線から左車線に移動をして、6時に再びサイレンが鳴り、多くの県民が見物する中で、止まっていた車が左車線を走行し始めたのです。
この変更に伴い、私が一番大変であったろうと思ったのが、バス会社さんなのです。
乗降口が右側かわ左側に変ってしまい、また、ハンドルが左から右用のバスを準備せねばならず、金銭的面、またドライバーさんへの負担が大きかったと思います。
実際に、バス会社に、国庫補助金92億6200万円、財政投融資63億円が認められたようなのです。
主な方の今日のお誕生日は、
1466年足利義材(足利義稙)[あしかが・よしき(よしたね)](室町幕府将軍(10代))
1863年ヘンリー・フォード (米:経営者,フォードモーター設立)
1898年ヘンリー・ムーア (英:彫刻家)
1947年西岸良平[さいがん・りょうへい] (漫画家『三丁目の夕日』)
1982年古閑美保[こが・みほ] (ゴルフ)
1993年宮崎美穂[みやざき・みほ] (タレント(AKB48))
お誕生日おめでとうございます!
主な方の今日のご忌日は、
1912年明治天皇(祐宮睦仁親王)[めいじてんのう(さちのみやむつひとしんのう)](天皇(122代))<59歳>
2006年森三平太[もり・さんぺいた] (俳優)<78歳>
2013年6代目笑福亭松喬[しょうふくてい・しょうきょう6] (落語家)<62歳>
2014年仲村秀生[なかむら・しゅうせい] (声優)<79歳>
ご冥福をお祈りいたします!
今日もありがとうございました。
次回もよろしくお願いします(*^-^*)