7月7日は何の日『七夕・七夕の節句、乾麺デー、ドリカムの日』
おはようございます。
今日7月7日は何の日~~~~
七夕・七夕の節句
旧暦の7月15日の夜に戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織して棚に置いておく習慣があり、棚に機で織った衣服を備えることから「棚機(たなばた)」という言葉が生まれたのです。
その後仏教が伝来すると、7月15日は仏教上の行事「盂蘭盆(盆)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって7月7日に繰り上げられたのです。
これに中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結び附けられ、天の川を隔てた織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が年に一度の再会を許される日とされたのです。 年に一度だけでも天の川で出会うことが出来る。。。
一度だけでも出会えることが幸せだと思うのです。
その一日が、2人の励みになり、日々が過ごすことが出来ると思うのです。
会いたくても会えない人たちもいるといるからなのです。
乾麺デー
全国乾麺協同組合連合会が1982年に制定したのです。 七夕の日に、素麺を天の川にみたてて食べる風習があったことからなのです。
乾麺については小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練り、綿実油などの食用油、もしくは小麦粉や澱粉を塗ってから、よりをかけながら引き延ばして乾燥、熟成させる製法で『手延べ干しめんの日本農林規格』を満たしたものについては「手延べ素麺(てのべそうめん)」に分類されるのです。
近年では手延べ素麺も大幅に機械化が進んでいます。
小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地を帯状に細く切って乾燥させる製法のもので機械にて製造しているものは「機械素麺(きかいそうめん)」に分類されるのです。 日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』では、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされているのです。
これより太い直径1.3mm以上1.7mm未満は冷麦、1.7mm以上はうどんと分類されるのです。
手延べ麺の場合は、素麺もひやむぎも同基準であり、めん線を引き延ばす行為のすべてを手作業により行っているなどの条件を満たしたものが、太さに合わせて、それぞれ「手延べ素麺」、「手延べひやむぎ」、「手延べうどん」とされるのです。
ドリカムの日
DREAMS COME TRUEのスーパーウラベストアルバム『DREAMS COME TRUE THE ウラBEST! 私だけのドリカム』のリリース日である7月7日から「ドリカムの日」に認定されたのです。
これはドリカム・中村正人による「『7月7日、晴れ』という曲があるおかげで、毎年7月7日には全国のラジオ局でドリカムの曲をたくさんオンエアされ、7月7日は七夕、一年に一度“夢がかなう日”ということで、“夢がかなう日=ドリカムの日”にしたい。」という想いから申請されたのです。
元々、ドリカムは7月7日という日と非常に縁が深い。所属事務所・株式会社ディーシーティーエンタテインメントの創立記念日であるほか、バンドの代表曲のひとつ「7月7日、晴れ」(映画「7月7日、晴れ」主題歌・96年発表)は今や七夕のテーマソングともいえる支持を集めているのです。
映画「7月7日、晴れ」とは、
自動車会社に勤める普通のサラリーマン・山部健太(萩原聖人)は、仲間たちと遊びに来たキャンプ場で、ひとり渓流釣りをしているとき、美しい少女に出会うのです。
少女は、世界的に注目される新進気鋭のアーティスト・望月ひなた(観月ありさ)だった。
東京で再び出会った二人は次第に引かれあい、デートを重ねていったのです。
健太は、ひなたが7月7日・七夕生まれであるのに一度も天の川を見たことがないと聞き、キャンプに誘い出したのです。
その夜、満点の星空を二人で眺めて感動したひなたは、来年の7月7日も二人で天の川を見ようと、健太と約束する。。。。。
今でも、私はこの映画を思い出しているのです。
最後の最後に、感動劇な結末が待っているのです。素晴らしい映画でした。
ちなみに、
1919年の今日、ラクトー(現在のカルピス)が乳酸菌飲料のカルピスを発売したでのす。
カルピスは、原液は非常に高濃度で、そのままでの飲用は推奨されていなかったのです。
水、湯または牛乳で2.5から5倍程度に希釈して飲用していたのです。
また他に、かき氷のシロップとして、またカルピスハイなどの材料にも使われているのです。
原液はその濃さから常温保存しても腐敗しにくい性質があり、戦前から一般家庭の常備品や日本軍の補給品として、戦後は贈答用としても広く使われているのです。
当初のカルピスは現在の薬用養命酒のような下膨れのビンで、ミロのヴィーナスが描かれた紙箱の包装だったのです。
1922年に水玉模様の包装紙を巻いたものに変更されたのです。
カルピスのパッケージの水玉模様は、発売日の七夕に因んで天の川(英語: Milky Way(ミルキーウェイ))をイメージしたものからきたようです。
最初は青色地に白い無地玉で、1949年に色を逆にし、白地に青い水玉としたのです。
私が子供の頃は白色のカルピスを薄めて飲んでおりましたが、現在は色々な種類が出ているようですね!
ちなみに、
1964年の今日、山梨県の「富士急ハイランド」が開園したのです。
富士急ハイランドは、山梨県富士吉田市新西原五丁目と同南都留郡富士河口湖町船津にまたがる富士急行系列の遊園地です。
FUJIYAMA・ド・ドドンパ(旧ドドンパ)・ええじゃないか・高飛車の4大コースターを筆頭に、多くの絶叫マシンがある事で有名だが、2000年頃からは「トーマスランド」や「ハムハムどきどき!おうこく」などのファミリー層をターゲットとした施設も登場しているのです。
私が高校生の時の修学旅行が富士急ハイランドでしたが、ジェットコースターの苦手な事から何の乗り物にも乗らなかった私でした。。。
ちなみに、
1970年の今日、日本初のファミリーレストラン・すかいらーく国立店が開店したのです。
すかいらーくは、1962年、東京都北多摩郡保谷町(現在の西東京市)のひばりが丘団地に食料品を取り扱うスーパーとしてことぶき食品を創業したのです。
地域に根ざしたスーパーとして住民の支持を得ることに成功し、店舗も1店ずつ増え経営は軌道に乗り掛けていたのですが、当時の高度経済成長時に大駐車場を完備した大型店舗の巨大スーパーの進出が経営を直撃し大幅な客数減少、売上低下で店を開け続けるだけで赤字の状態となってしまったのです。
そこで、経営していたスーパーからの転業が決断され、新興住宅地として開発が進んでいた東京都府中市(甲州街道<国道20号>下り側沿い)に土地を確保し、田無農業協同組合(現・東京みらい農業協同組合)から融資を受け、1970年の今日、日本における郊外型ファミリーレストランの先駆けとなるスカイラーク1号店(国立店)を創業したのでした。
その後も時代のコンセプトや消費者ニーズの多様化に応え、コーヒーショップ「ジョナサン」、中華料理「バーミヤン」、和食「藍屋」など新業態を開発し、レストラン業界のリーディングカンパニーとして成長して、1993年すかいらーくグループは外食産業のうちテーブルサービスレストランとして初の1000店舗出店を達成したのでした。
ちなみに、
ファミリーレストランとは客単価=500~2,000円、注文から料理提供までの時間=3分以上(これより短い場合はファストフード) 、座席数が80席以上の店舗の事のようです。
今日もありがとうございました。